10月 12, 2023
若いころは色々な無茶をやるものですが、今回は当館ワインプラスの館長。塩澤みなみが魔女に憧れて魔女になるまでの物語をご紹介させていただきます。
東京都八王子市に2人姉妹の長女として生まれたみなみ館長は、子どものころからジブリが大好き。なかでも見習い魔女キキを描いた『魔女の宅急便』が大のお気に入りだったそうです。
もともと海外志向が強かったこともあいまって、16歳になったら「見知らぬ街で1年間暮らす」という魔女になるための決まり(*作中では13歳)にしたがって、海外留学を思い立ちます。
渡航先はカナダ、バンクーバーアイランド北部の小さな田舎町。
海外と言えば、映画で見たニューヨークやロンドンの街並みだったのに対して、みなみ館長の街は”Salmon’s Capital of the World”という人とサーモンどっちが多いかわからない、といったド田舎です。
とはいえ、現地の高校に通いながら、釣りとボーリングにいそしみ、見習い魔女としてのしきたりを果します。
帰国後、将来を考えたみなみ館長は、箒のかわりに飛行機で空を飛ぶべくフライトアテンダントを志しますが、身長が足りず断念……。
かわりに外資系ホテルでの仕事をするために、専門学校に通いました。
1年目こそ真面目に学校に通ったとのことでしたが、魔女の血がそうさせるのか、2年目は休学して、カリフォルニアでインターンシップを経験、3年目は早々に内定をもらい、バイト三昧という型破りな専門学校生活を謳歌します。
社会人1年目の就職先は、ホテル椿山荘(当時はフォーシーズンズ系列)。留学時代に自分が日本の食文化をいかに知らないかを痛感したこともあり、和食部門に配属となります。
「お客さまに誰が何を聞かれてもいいようにしておく」という当時のホテルのポリシーを全うするため、興味を持ったことは社内プログラムなどを使って色々勉強したと言います。
ワインに出会ったのもちょうどその頃でした。
とはいえ、和食部門ではワインを深められず、さらに翌年はロビーラウンジ部門の配属となったこともあり、ワインを勉強できる環境に身を置くことに決めました。
ワインと仕事で向き合う最初の舞台は、ワインショップでした。
2000円~3000円台のデイリーワインを中心にそろえた素敵な個人店だったものの、事業縮小にともない新天地を探します。
ワインショップの事業が傾いていく様を見ていた、みなみ館長は一つの結論に行きつきます。
それは一般の人とワインの接点を増やすということでした。
「今も当時も、成人一人当たりのワイン年間消費量は3~4リットル程度。一方で自分や自分の周りを見渡すと、毎日のように飲んで消費量に貢献しているような人ばかり。ということは、一般の人って、ほとんどワイン飲んでないのでは……。と気づいて、一般の人とワインを繋げるような仕事ができたらと思うようになりました。」
そこでワインイベントも精力的に行っていたインポーター、オルヴォーへの転職を決めます。
インポーター業のかたわらイベントにも積極的にかかわり、業界の中で色々な知り合いを作っていくことができたと教えてくれました。
そこから、さらに貿易事務を知るために貿易会社で働き、ファインワインの世界を知るべくBerry Bros. & Ruddを経験したり、ワインスクールでエデュケーションの実態を学んだり、することを通じて、気がつけば見習い魔女はワイン業界を知り尽くした立派な魔女へと成長しました。
そして、2021年11月からワインプラスを運営するワインエクスペリエンス株式会社に就職し、これまで培ってきたレストラン/ワインショップ/インポーター業務/貿易業務/ワインスクールなどのキャリアの集大成として「ワインプラスの魔女」へと変貌を遂げました。
みなみ館長がワインの好きなところは、ワインのもつ人を引きつけ合う力だそうです。
「楽しく飲んでいたら、それだけで人と繋がって、自分の人生が広がって、というのが魅力です。なので、ワインプラスでもスクールという側面はもちながら、ただ飲んで終わり、ただ勉強して終わり、ではないそこから色々なことが始まるきっかけの場にしていきたいです。」
さらに、
「欲を言えば、ワインプラスを東京の観光名所の一つにしていきたいです。」ともおっしゃっていました。
最後にみなみ館長にも最後の晩餐について尋ねてみると、
「カナダにいた頃に食べた、大きなサーモンのオーブン焼きを友達みんなで囲んで食べたいです!一人で食べても寂しいので(笑)。」
一緒に飲むワインは、赤ワインが苦手だったころに、初めて美味しいと思えた赤ワイン、ニュージーランド、ストーンカッターズのピノ・ノワールとのことでした。
ワインプラスの魔女は広尾でみなさんのことをいつも待っています。
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