7月 21, 2025
悩めるワイン業界人(と未来のワイン業界人)におくる「THEワインキャリア」の今回は、ベージュ アラン・デュカス東京の初代総支配人にして、株式会社グランクリュ・ワインカンパニーの代表取締役を務める渋谷康弘さんにお話をうかがいました。
御年61歳(2025年7月時点)となる渋谷さんが初めてワインにふれたのは、新潟県から上京して間もないころ、カフェやバーを展開していた長谷川実業(現 グローバルダイニング)が出店したフレンチでアルバイトとして働いたことがきっかけです。そこで当時の日本ではまだ目新しかった「ワイン」に出会います。
「ワインという当時新しくもあり、かっこよくもあり、探求心を掻き立てるものに惚れ込んでいきました。」
持前の好奇心で積極的にワインと向き合っていた姿勢が評価され、シェフのフランス旅行に同行させてもらえることになります。
初めての海外旅行、初めての現地視察ということで、数カ月にわたりフランスの様々な都市を食べ回ります。
語学力もワインや料理への知識もまだまだであったことが、渋谷さんの学習意欲に火をつけ、帰国後にビザを取得して改めて渡仏することになります。
1980年代後半にパリでホテルや和食レストラン、観光ガイドなどをして生計を立てるかたわら、フランス語学校と創業したてのアカデミー・デュ・ヴァン(以下、ADV)に通い、スキルをつけていきます。
「最近のワインスクールでは、ワインのスペックありきでテイスティングしてコメントするといった形式が多いですが、当時のADVではブラインドテイスティングで参加者が好きに意見をして、生産者がその意見に答えていくというものでした。かなり辛辣なコメントも多数出ていましたが、参加者もソムリエやインポーターのようなプロが多く、プロと生産者の真剣勝負という雰囲気でした。」
ADVは二階がスクール、一階がショップになっていたそうで、当時お金もネットもなかったため、渋谷さんは一階のショップでラベルを目に焼き付けながら、それぞれのワインを覚えていったそうです。
ひたむきな姿勢は誰かが見てくれているもので、パリで知り合ったフランス人が横浜にオープン予定のインターコンチネンタルホテルグループ(以下、IHG)のレストランマネージャーになるから、そこでソムリエにならないかとお声がかかります。
もちろん、ワイン業界で身を立てることを決めていた渋谷さんはこの申し出に二つ返事で応えます。
ソムリエとしてワインリストの作成などをこなしながら、そこから12年間勤めあげます。
その間、東京のIHGの開業にも携わり、海外シェフを招聘してのシェフプロモーションイベントなども定期的に企画していました。
このシェフプロモーションイベントが結果的に渋谷さんの次のキャリアを決定づけることになります。
フランスの三ツ星レストラン「アラン・デュカス」が最高級ファッションブランド「シャネル」とコラボして日本に「ベージュ アラン・デュカス東京」(以下、アラン・デュカス東京)を開業しようというタイミングでした。
奇妙な縁が渋谷さんとアラン・デュカス東京を結びつけます。
当時、シャネル日本法人の社長であるリシャール・コラス氏の実家である南仏のオーベルジュで見習いをしていた地元有名シェフのジャン・マルク・バンゾー氏がIHGのシェフプロモーションに来ていたこと、時を同じくしてIHGがアラン・デュカスにシェフプロモーションの企画を進めていたときに、渋谷さんもプロジェクトメンバーの一人であったこと。
二つの偶然によって、渋谷さんにアラン・デュカス東京での総支配人の話が舞い込んできます。
ソムリエとしては千載一遇のチャンスと快諾しますが、後から振り返ると、渋谷さんが「ソムリエ」から「ビジネスパーソン」へと転換する大きなターニングポイントでした。
ファッションブランドの雄であるシャネルと当時史上最年少で三ツ星を獲得したアラン・デュカス。二つのビックネームを背負ったアラン・デュカス東京の店舗開発が始まります。
「一貫して、二つのブランドの足並みをそろえる調整作業に四苦八苦していました。良くも悪くも飲食のいろはを知らない、シャネルやデザイナーのピーター・マリノと本気で三ツ星を取りにいこうとしているアラン・デュカス。フランスとアメリカと日本を行ったり来たりしながら、開業までは休みなく働いていました。」
なんとか開業にこぎつけると、早速の話題のレストランとなり、連日電話が鳴りやまない日々が続きました。
そんなある日、ベージュ アラン・デュカス東京を成功させた渋谷さんの手腕を見込んで、当時経営不振に悩んでいた、「ピエール・ガニェール・ア・東京」から立て直しの依頼が入ります。
アラン・デュカス東京でやるべきことはやったという自負とともに、渋谷さんは新天地に進みます。
今回は渋谷さん自身も出資をおこない、株主としても再建に取り組んでいきます。
しかし、1年半後にリーマンショックに見舞われ、ピエール・ガニェールはホテル内レストランとして舵を切り、実質的に再建事業は失敗に終わってしまいます。
「初めての大きな挫折でした。とともに、会社経営の難しさ、会社にとっての資金の重要性を痛感する出来事でした。」
しかし、世界中を襲った金融危機とあっては渋谷さんを責めることはできるはずもありません。その後、顧客の一人でもあった、円谷フィールズホールディングスの山本英俊会長から新規のレストラン事業を任せたいという話をもらい、10年にわたりフィールズ・ジュニア(現 東京プレミアムダイニング)の代表取締役という立場から複数店舗の飲食店経営を経験します。
ようやく、「社長業が板についてきた」という実感を持つことができ、そののちはワイン専門商社ワイン・イン・スタイル(現ワイン・トゥ・スタイル)で2015年から社長業を経験し、2017年に自らの出資会社であるグランクリュ・ワインカンパニー株式会社を創業します。
グランクリュ・ワインカンパニーでは、ワインの輸入販売や会員向けのイベント企画、コンシェルジュサービス、プライベートレッスンなどを提供しているそうです。
さて渋谷さんのキャリアの秘訣はどこにあったのでしょうか?
お話をうかがった中で感じたのは
・適切な環境下に身をおくこと
・ビジネスパーソンとしてのスキルの高さ
・強い顧客との結びつき
結果論ではありますが、ワイン産業草創期にワイン産業を志し、日本が成長しているバブル期に海外に行くことで、日本に進出しようという海外企業に見出され、ファッションブランド×飲食店の先駆けに関わることでセルフブランディングを果たす。常に時代の潮流に乗りつつ、さらにその先へ行くことで、今のキャリアを築き上げているのかもしれません。
さらに、ワイン業界の人に欠けがちな「ビジネスパーソン」としてのスキルの高さも渋谷さんの強みとなっています。社内の調整力、提案力、顧客への傾聴力。そういったスキルがあればこそ、ワインというツールを使いながら各界の要人とつながり、信頼を勝ち得ながら、ビジネスを拡大してこられたに違いありません。
最後にワイン業界で働く人(これから働く人もふくめ)への伝えたいメッセージをうかがってみました。
「若いうちは、とにかくインプットしてください。幅広いインプットが一定レベルまで済んだら、視野を広くもってワインをビジネスツールとしていかに活用できるかを自分なりに考えてみてください。そしてワインビジネスは損得ばかりを考えずに、ワインを通じた縁を大切にしてください。そのワインを通じた縁が人生を左右するような大きなチャンスを運んでくれると思って下さい。」
今後の日本のワイン産業をどのように成長させるのが得策なのか、若い方たちに考えていただきたいです。」
日本におけるワイン業界の歴史を見てきた渋谷さんの今後に是非ご注目ください。
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