5月 29, 2025
悩めるワイン業界人(と未来のワイン業界人)におくる「THEワインキャリア」の今回は、ドイツワイン・オーストリアワインの専門商社ヘレンベルガー・ホーフ株式会社の代表取締役社長、山野高弘さんにお話をうかがいました。
山野さんのお話を始める前に、ヘレンベルガー・ホーフの歴史をご説明させていただきます。
ヘレンベルガー・ホーフは創業者の千葉敏明さんによって、1982年に神戸で起ち上げられます。
当時まだまだ無名だったヘレンベルガー・ホーフと濃く付き合っていたのが、問屋に勤めていた山野さんのお父さまである山野寿さんでした。
寿さんは、ドイツワインの魅力と可能性を感じ取り、問屋で要職に就いていたにもかかわらず退職し1989年ヘレンベルガー・ホーフに参画。1991年から代表取締役に就任します。
これから会社を大きく、と思っていた頃、1995年1月17日、阪神淡路大震災に見舞われます。 「神戸の事務所は半壊して、父も正直ここまでと思ったそうです。」
しかし、当時働いていた社員さんは30代が中心で、子育てもこれからというところ。ここで終わるなんてありえません。弱気になっていた寿さんも社員さんたちの熱にあてられ奮起します。
事務所を茨木の山野さんの自宅横に新たに設置し、気持ち新たなにリスタートを切ります。
そんなヘレンベルガー・ホーフが波乱万丈を送っている頃、山野さんは関西の地元スーパー平和堂に就職していました。
スーパーといっても、担当していたものは紳士服や陶器、腕時計といった高級商材。バブルの時世もあり、商品は飛ぶように売れていたそうです。
また、スーパーという職場柄と山野さんの人柄もあり、パートの方たちの良き話し相手になっていました。
相談される内容といえば、家族の話。
「父はとても昔気質な方で、それまで父とまともに話した記憶はほとんどありませんでした。しかしパートさん達から家族の話を聞いていると、家族のために何かしたい、父のことをもっと知りたいという気持ちが湧いてきて、ヘレンベルガー・ホーフで父の助けになろうと決めました。」
ヘレンベルガー・ホーフに入社したのは、山野さんが社会人として5年が経過したときでした。平和堂で数十万円の商材を売り続けてきた山野さん、数千円のワインなんて簡単だろうと高を括りますが、現実は甘くなく、ほどなく大きな挫折を経験します。
このままではと思っていたときに、寿さんがドイツの研修から帰国し、自分もドイツに修行に行かせてくれと直談判します。
なかなか首を縦に振ってくれなかったそうですが、半年間交渉を続け、ドイツ修行の承諾を得ます。
行き先は、寿さんが懇意にしていたベルンハルト・フーバー。親友の頼みならと山野さんのドイツ行きは快諾されます。
しかし、ワイン業界に入って1年ほどの当時の山野さんは、ワインの知識がないのはもちろん、ワインビジネスの何が面白いのかは分かっておらず、さらには言語もこれからという状況でした。
「お前の父はすごい男だ」と寿さんと比較されながら、ワイナリーでの下働きは決して楽しいものではありませんでした。『山野高弘』ではなく、『山野寿の息子』としか見てもらえない日が続き、語学だけはと頑張るものの、ワインの面白さはなかなか感じることができなかったそうです。
ドイツ修行に来て2年が経ったころ、そんな様子を察した寿さんから「あと半年で帰ってくるように」とお達しがきます。
「このままではなんの戦力にもなれないまま、帰国することになる。」お尻に火のついた山野さんは寿さんがドイツの赤ワインの名手としてフーバーを開拓したのなら、自分は白ワインの名手を開拓しようと思い至ります。
ワインショップに行き、白ワインの有名生産者と言われているワイナリーのワインを3種類購入します。自分の部屋で3つのワインをブラインドで飲み、その中でも「これだ!」と思えるワインを見出します。
そのワインこそ、ゲオルグ・ブロイヤーにして山野さんのワイン人生を大きく変える生産者でした。
早速ブロイヤーに連絡を取ると、すぐに来いとのことで、残り半年、ブロイヤーで住み込み生活がスタートします。
最初は、他の労働者に混ざって畑仕事をしておりましたが、山野さんの丁寧な仕事と熱心さが認められ、醸造チームに入れてもらえることに。
「それまでワインに関わってきて、初めて仕事を認めてもらえたという気持ちで本当にうれしく、わたしのワイン人生の転機であり、ブロイヤーでの体験がわたしのワイン人生の原体験です。」
醸造チームに入れただけでなく、その後は作業長も任せてもらえるなど、山野さんもめきめきと頭角を現していきます。
前当主のベルンハルト・ブロイヤーさんが参加するはずだったメーカーズ・ディナーにピンチヒッターで登壇したりと大活躍を見せ、2004年に帰国の途につきます。
同年ブロイヤーさんが来日したおりには、ドイツワインといえば甘口ワインが隆盛だった当時、「テロワール」、「辛口」、「伝統品種」という三軸からのドイツワインの復権を約束します。
ドイツワインの復権に向け、お話を聞いていると三つの戦略が見えてきます。
一つが、ドイツワインの中でも象徴的なリースリングという品種の認知向上。そして、ワイナリーツアーを中心としたファンマーケティング。最後は、コロナ禍を機に注力するようになった、山野さん自身がインフルエンサーとなるSNSマーケティングです。
目下は、ドイツワインに特化したドイツワインケナー資格をソムリエ/エキスパートに次ぐものにしたいと語っていらっしゃいました。
さて山野さんのキャリアの秘訣はどこにあったのでしょうか?
お話をうかがった中で感じたのは
・立ち返るべき原体験の存在
・変化への対応力
・やりきる能力
山野さんの強みは、なによりもドイツワインへの愛と情熱にあります。それは、山野さん個人としてブロイヤーで認めてもらい、ワインビジネスの楽しさを感じることができた当時の経験という原体験あればこそです。
そして、変化への対応力というのも強みの一つです。フーバーで思うような結果が出ず、半年後に帰国しないとわかるや否や最高の白ワインを開拓しようとブロイヤーにコンタクトを取り、コロナで飲食店販売できないとなるとSNS戦略に舵を取り。
しかも、それをしっかりやりきるというのは誰にでもできることではありません。
最後にワイン業界で働く人(これから働く人もふくめ)への伝えたいメッセージをうかがってみました。
「ワインの勉強は、ともすると品種や味、香りの表現に偏りがちです。もちろん大事なことではありますが、やはり人が感動するのは人の想いに触れた時だと思います。
だからこそ、生産者の想いを知りに、彼らに会いに行ってください。移動距離とアイデアの量は比例すると言います。若いうちにぜひ、日本も含めた世界中の造り手さんに会い、さまざまな経験を積んでみてください」
話を聞けば聞くほど、ファンになってしまうヘレンベルガー・ホーフのワインをぜひ楽しんでみてください。
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