5月 23, 2025
日本にすでに何千・何万ものワインがあるなか、輸入されてきたワインには何かおもしろい理由があるはず。ワインの仕入れの舞台裏にせまる企画「輸入の流儀」。
今回は、甘口ワイン全盛時代のドイツで辛口ワインのスタイルを確立した、ゲオルグ・ブロイヤーを輸入するヘレンベルガー・ホーフ株式会社、代表取締役社長の山野高弘さんにお話を伺いました。
山野さんとブロイヤーの最初の出会いは、文字通り「酸っぱい」ものでした。
ヘレンベルガー・ホーフは、本格的にブロイヤーとの取引をスタートする2004年以前から、頒布会用ワインなどで極少量のワインを輸入しておりました。
まだワインもろくにわかっていなかった入社まもない山野さんは、ブロイヤーの「ソヴァージュ」を飲む機会があり、「こんな酸っぱいものを美味しく飲む人がいるのか」と驚いたそうです。 月日が経ち、山野さんとブロイヤーの二度目の邂逅は、ちょうど山野さんがドイツ修行をしている頃でした。
帰国まで残り半年というとき山野さんは、ヘレンベルガー・ホーフの2代目社長であった父が開拓した赤ワインの名手ベルンハルト・フーバーの双璧をなしうる、ドイツの最高の白ワインを開拓しようと思いつきます。
ワインショップで「これぞ!」と思うドイツの3生産者の白ワインを購入して、自宅でひとり目をつむってブラインドで飲んでみて、一番美味しいと思ったボトルを手に取りました。
おそるおそる目をあけるとそこには”GEORG BREUER”の文字が。
史実を紐解けば、1世紀ほど前に世界中で最も称賛を集めていたワインは、ドイツ、ラインガウの辛口リースリングに行きつきます。
しかしその後長らくドイツワインと言えば甘口ワインという時代に入り、ドイツワインの真価は見過ごされてきました。
そんな状況に待ったをかけた人こそ、ゲオルグ・ブロイヤーの前当主ベルンハルト・ブロイヤーその人でした。世界中のワインを俯瞰し、ワインに求められている「テロワール」、「辛口の味わい」、「伝統品種」の三つを追い求め、食中酒としてのリースリングの復権を目指しました。
ドイツワインに辛口なんて求めていないといった時代背景もあり、その過程がいかに困難を極めたかは想像もできません。しかし、結果、ドイツにおけるグランクリュ「グローセス・ゲヴェックス」導入の立役者ともなり、15年の月日をかけて、ドイツにおいて辛口リースリングを確立させます。
2026年には、ドイツワインも法改正が行われ、ブルゴーニュと同様のルールができますが、この法改正もベルンハルト・ブロイヤーの存在抜きには語れない、とのことです。
話は戻って、ブロイヤーを選んだ山野さんは、ブロイヤーでようやくワイン人として生きていく楽しさと覚悟を見出します(詳細は山野さんのワインキャリアをご覧ください)。
父がフーバーに入れ込んだように、今度は山野さんがブロイヤーに入れ込みます。
半年という短くも濃い滞在期間を終えると、
2004年、帰国後すぐに特に気に入っていたエステート・ラウエンタールを300ケース(3600本)発注かけたと語ります。
「当時はまだまだ日本でもドイツ=甘口という方程式があったので、売れる算段があったとか、そういうことはありませんでした。とにかく惚れ込んだワインを、リースリングの復権を目指すブロイヤーさんのワインを、売りたいという一心でした。」
しかし、本当に地道な活動が必要だったと語ります。店頭に立っての試飲即売はもちろん、生産者の来日イベント、顧客のワイナリーへのアテンド、、、少しずつファンを増やし販路を広げていったそうです。
翌年には、専門誌ワイナートが6ページの特集記事を組んでくれたことで「ようやくスタートラインに立てた」と語っていらっしゃいました。
リースリングの評価向上のために、2008年にはリースリングリングという団体も起ち上げ、世界中のリースリングにフォーカスしながら、「リースリングっていいよね」という風土を醸成するなど、ベルンハルト・ブロイヤーから渡されたバトンをたしかに受け取っています。
ゲオルグ・ブロイヤーがはるばる日本までやってきた理由は
1. すでに取り扱っていた赤ワインのフーバーと双璧をなす最高の白ワインを探していた
2. ドイツ=甘口リースリングという認識を刷新して辛口リースリングの復権を目指した
3. 山野さんがベルンハルト・ブロイヤーとブロイヤーのワインに惚れ込んだ
ということでした。
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