12月 17, 2024
悩めるワイン業界人(と未来のワイン業界人)におくる「THEワインキャリア」の今回は、130年以上の歴史を持つ横浜君嶋屋の4代目にして、ソムリエ協会副会長の君嶋哲至さんにお話をうかがいました。
横浜君嶋屋は、1892年の創業以来、下町商店街の角打ちとして港湾や近隣で働く人々に長らく愛されていました。
幼少期の君嶋さんも角打ちの人情味あふれるお客さんたちに可愛がられ育ちます。
もっとも、まさか町のひとつのお店に過ぎない家業がそんな歴史あるものだとは思ってもいなかったそうですが。
あくまで角打ちというスタイルだったこともあり、ご両親からお酒の英才教育を受けるわけでもなく、君嶋さん自身も新卒では健康食品というお酒と対極にある会社に営業として入社します。
とはいえ、健康食品に強い思い入れがあったということではなく、この頃の君嶋さんのもっぱらの関心事は、音楽、ロックでした。
19歳の頃にロックの世界にはまりこみ、一時はプロのミュージシャンを夢見たほどです。
しかし社会人2年目のある日、先代父の君嶋健雄さんの体調が悪化したことで、一人っ子だった君嶋さんは家業を継がざるをえなくなります。
実際に継ぐとなると、角打ちの一本足打法では経営が心もとないということで、横浜君嶋屋のリニューアルに乗り出していきます。
これまでの角打ちスタイルの店舗から、ショップ兼角打ちのスタイルへの変更です。角打ち時代は、あくまで酔うためのお酒が求められていたこともあり、日本酒の品ぞろえも大手銘柄を数種類という感じでしたが、ショップとなるとそうもいきません。
独力での勉強では間に合わないので、酒類の共同仕入れを行う組合に加入し、そこで色々教えてもらいながら勉強していきます。
勉強していく中で、最初に感銘を受けたのが日本酒「満寿泉」でした。
前職の営業で学んだ粘り強さ、そして音楽を通じて学んだパッションで蔵元と親交を深め、取引を勝ち取り、以降少しずつ地酒の取扱いを増やしていったそうです。
当時は社員がいなかったこともあり、商品の納品から陳列まで自身で行い、仕入れた商品をさばくために近隣の飲食店にも営業をかけて、という目まぐるしい日々が始まります。
「自分が本当に美味しいと思ったお酒をできるだけ多くの人に伝えていきたい。それが当時の原動力でした。」
「酒蔵さんとは親戚のような深い付き合いをする」とも語っており、蔵元のために、そしてお客さまのために、という思いでこのハードな時代を乗り越えていきます。
そんな君嶋さんのひとつの転機が、80年代後半に組合を通じて参加した、欧州の商業視察でした。商業視察という言葉の通り、商店街やデパート、レストランを対象にした視察ではあったものの、これがワインの勉強を始めるきっかけとなったそうです。
帰国すると、トリノ大学でブドウ栽培とワイン醸造を学び、非常勤講師としての経験も持つ岩野貞雄さんのワインスクールに通うようになります。さらに、その数年後には、1983年に世界一のソムリエに輝いた田崎真也さんのワインスクールにも通うように。
次第にワインにのめり込んでいきます。
この頃から君嶋さんは定期的にワイン会や日本酒会を開催するようになります。定期開催することで、ひとつのコミュニティができあがり、公私ともに重要なつながりを築いていきます。
会社のほうも近隣の大学などに求人をだしてアルバイトを雇うことで、店舗における君嶋さんの負担も軽減し、これまで以上に飲食店への卸売りも増えていきます。
当初近隣飲食店にとどまっていた卸売りの商圏も、高級ホテルや一流レストランなど名のあるところまで拡大していきます。
さらに、当時付き合いのあったワインインポーターと一緒に海外視察などを行うことも増えてくると、君嶋さんの中にも自分なりの未輸入ワインの目利きやバイイングのノウハウが蓄積されていきます。
こうして、1997年からワインの自社輸入のスタートです。もちろん自身の感覚だけを頼りにするのではなく、世界的なワイン評価誌であるギド・アシェットや、パリで長らく三ツ星を保持していたタイユヴァンのワインリストなども参考にすることで、主観と客観、双方で納得のいくワインの仕入れを行っていきます。
2005年からは、当時ソムリエ協会がSAKE DIPLOMA認定制度のスタートを見据えていたこともあり、ワインと日本酒の両方に造詣の深い君嶋さんに白羽の矢が立ち、ソムリエ協会の理事に就任します。
ワイン学習者から見る日本酒というコンセプトで、参考書や試験問題の作成にたずさわり、その活躍もあり2016年には現職のソムリエ協会副会長に抜擢されます。
気づけば、一人で商品の納品から陳列までやっていたリニューアル当時からでは考えられない規模まで成長し、パートを含む社員は約50人、取引のある酒蔵は約100社(全ての蔵元と親交があるそうです)、そして輸入ワインは約50社にまで広がっています。
さて君嶋さんのキャリアの秘訣はどこにあったのでしょうか?
お話をうかがった中で感じたのは
・ウェットな人間関係構築力
・絶えることのないパッション
・感性にもとづく行動力
君嶋さんのキャリアの根幹になっているのは、良い意味で「ウェット」な人間関係構築力ではないでしょうか。
幼き頃の「角打ち」という環境が、そうさせたのか、とにかく人との密なつながりの中が君嶋さんのビジネスの基盤となっており、また原動力となっている印象を受けました。
顔の見える付き合いをすればこそ、その人たちのお酒をより多くの人に届けてあげたいというパッションが生まれているに違いありません。
そして、もうひとつ重要なポイントが、感性的ともいえる行動力です。良いと思ったところには、正面からアプローチし、それを広げるために様々な施策を打つというのは、試行回数の多さこそが全てとも言われるビジネスにおいては重要なポイントです。
最後にワイン業界で働く人(これから働く人もふくめ)への伝えたいメッセージをうかがってみました。
「世の中には本当に色々なお酒がありますが、良い生産者さんに出会って、その人のお酒を楽しむということをしていただきたいです。『何が良いお酒か?』というのは非常に難しい問いではありますが、誤解を恐れずに言えば、良いお酒はそのときの食事の時間、心身といったもの丸ごとひっくるめてあなたの人生を良いものにしてくれると信じています。もちろん、適正飲酒という観点は常に大事ですが。」
25歳で一度辞めていた音楽を50歳から再スタートした君嶋さんは現在、
Mystic Watersというバンドでギターボーカルもされています。音楽×ワインな夜もぜひお楽しみください。
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