8月 31, 2023
悩めるワイン業界人(と未来のワイン業界人)におくる「THEワインキャリア」の今回は、前編に続き、株式会社山仁の代表取締役社長にして、マスター・オブ・ワインの大橋健一さんにお話をうかがっております。
幼少期から酒屋三代目としての英才教育を受け、12年間の酒屋ドライバーとしての下積み経験を経て、ワインアドバイザー選手権で優勝を勝ち取った大橋さんの前に現れた平出さん。「ワインアドバイザー選手権優勝くらいでいい気になってはいけない」と語る彼女の真意とは?
「日本のワインアドバイザー選手権で優勝したくらいでいい気になっていたらダメよ。」
出会って間もない平出さんのお説教は当然、優勝までの苦労も知らない人の余計なお世話として大橋さんの癪に障りこそすれ、響くことはありませんでした。
後日、別の機会で予定されていた平出さんのワイン勉強会には都合により不参加の連絡を入れ、申し訳程度に平出さんセレクトのワインへコメントを寄せるにとどめます。
すると後日、平出さんからワインへのコメントの御礼とともに、「マスター・オブ・ワインになりなさい」と連絡が来るのでした。
今でこそ、マスター・オブ・ワインの資格は認知されるようになってきましたが、2000年前後の当時はほとんど知られてもいないような状況。まして、大橋さんには山仁社長としての準備もあります。
「とてもじゃないがそんな暇はない」、と断りを入れると、翌日から毎日のように電話が入ってきます。
そんな二人の奇妙な関係も数年が過ぎた頃、平出さんからマスター・オブ・ワイン、サム・ハロップが来日するから三人で会おうという話がやってきます。
大橋さんとしては初めて会うマスター・オブ・ワイン、断る理由もありません。
大橋さんがその日手持ちしたワインが、たまたまサムさんが醸造を学んだワイナリーということもあり、二人はすぐに打ち解け話はディープなワインの話に。
大橋さんがフランス、ロワール地方のマイナー品種ロモランタンの話をすれば、サムさんは日本におけるスクリューキャップの普及率が低いという話題からポルトガルのコルク産業の話を展開するといった具合。
次第に大橋さんは自身の知識中心のワインのアプローチとマスター・オブ・ワインの持つ大局的なワインの視座に大きな乖離があることに気づきます。
翌日サムさんのセミナーを受けると、記憶頼りではない、科学の知識なども総動員してワインをひも解くような体系化されたブラインドテイスティング能力に魅了され、すぐさま弟子入りを志願します。
しかし大橋さんの百科事典並みの知識量に敬意を持っていたサムさんはこれを丁重に断り、かわりに友人として互いに切磋琢磨していこうと提案してくれます。
大学でも修士(マスター)をとるためには学士が必要なように、マスター・オブ・ワインになるためには、まずはディプロマを収めることが必要でした。
しかし、全てが英語で行われるこの試験には当然高い英語力が求められ、それは当時の大橋さんに欠けていた能力でもありました。
サムさんからのアドバイスもあり英語でワインの勉強をし直しつつ、WSETでこれまで蓄えてきたワインの知識をいかに応用するかを学んでいきます。
36歳の頃には無事ディプロマを取得しますが、マスター・オブ・ワインのカリキュラムに入る前に、サムさんから再び待ったがかかり、英語の勉強をすることに。
ただでさえ、目標まであと一歩で焦らされている状況で、“One misfortune rides upon another's back.(災難は続いてやってくる)”とはよく言ったもので、大変な出来事は重なって大橋さんの身に降りかかります。
ディプロマを取得した当時、山仁でも大橋さんがそろそろ社長になるかというタイミングでした。
マスター・オブ・ワインの勉強に専念したいという思いもありつつ、三代目として山仁を成長、発展させていかなくてはいけないという責任も当然あります。
自分が豪快さやカリスマを兼ね揃えた父のようなタイプでないことを自覚していた大橋さんは心から尊敬していた大手酒販店の経営者の方に相談に行きます。
「先代の真似をしても、そもそもの資質が違うのだから、先代を超えることはできない。大橋さんの資質は真面目さ実直さにあるのだから、一度全社員と正面から向き合ってみるといい。」
そのように告げられ、実際に全社員と面談し、自分がマスター・オブ・ワインに挑戦するつもりであること、それにともなう会社の変化についてきてほしいということを打ち明けます。
これまではあくまで父についていたと思っていた社員みなが口をそろえて、大橋さんについて行くと言ってくれたことに勇気づけられ、まずは将来を見据えた社内のIT革命に踏み切ります。
しかし、ふたを開けるとなんと、その後2-3年のうちに社員の三分の二程度が離れていってしまうことに…。
離れてしまったものは仕方がない、「革命を経験しない会社が大きく羽ばたくことはない。」という先の経営者の言葉を信じ、持ち前の堅実さで実直に経営を進めていきます。
ディプロマを取得して3年後、39歳にしてようやくマスター・オブ・ワインのカリキュラムに挑戦します。
全てが順調だったわけではありませんが、思い立ってから9年間後の48歳で見事マスター・オブ・ワインとなります。
現在は、仕事量としてはマスター・オブ・ワインの仕事が8割を占めるという大橋さんですが、意外にも頭の中はいつも8割が山仁のことを考えているそうです。
「幼いころから、酒屋の三代目として初代、先代からもらったタスキをしっかり受け取り、次の世代に繋げることが自分の役目だと言われてきました。
しかし、酒販免許の緩和やオンライン台頭など変化の多い今日において、本当に今の酒屋の形のままタスキを次に託すことが正しい選択なのかはわかりません。もともとの屋号『山仁酒店』から『山仁』に移行したのもそういう思いもあればこそです。」
来年1月にOPENする麻布台ヒルズのコンセプトショップは「山仁」の新しい在り方を見せてくれるのかもしれません。
さて大橋さんのキャリアの秘訣はどこにあったのでしょうか?
お話をうかがった中で感じたのは、
・貪欲に真面目に学び続ける姿勢
・自分の資質と機会を客観的に俯瞰できる
・人を頼れる素直さ
学ぶ姿勢については、いまさら言及することもないでしょう。それだけ努力したうえで、自分の能力と周りが与えてくれた機会を混同することなく冷静に見つめることのできる姿勢は、うまくいっているときほど見落としやすいものかもしれません。
さらに苦境に陥ったときに素直に人に助けを求め、人の意見に耳を貸せるかどうか、これも自分の力で成功を勝ち取ってきた人ほど忘れてしまう姿勢ではないでしょうか?
大橋さんの誠実な人柄が、ビジネス面でもワインのプロフェッショナルとしても活きていることは間違いありません。
最後にワイン業界で働く人(これから働く人もふくめ)への伝えたいメッセージをうかがってみました。
「ソムリエという資格が仕事を持ってきてれると思ってはいけません。わたし自身もマスター・オブ・ワインになったからこその仕事もたしかにありますが、実際はそこに行きつくまでの経験がもたらしてくれた機会の方がはるかに多いです。資格はきっかけに過ぎません。資格をとった後は、それまでどういう努力してきたか、あなたがどういう人間か、どんな実績を積み上げられるか、そういうことで判断されます。資格をとった後こそ、一度自分から資格を取り上げて考えてみることが重要です。」
先述しましたが、2024年1月には麻布台ヒルズに山仁さんのコンセプトショップ「intertWine K&M(インタートワイン ケーエム)」がオープンします。大橋さんの思い描く未来の酒屋の在り方の一端がそこで覗ける、かもしれません。
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