5月 26, 2025
日本にすでに何千・何万ものワインがあるなか、輸入されてきたワインには何かおもしろい理由があるはず。ワインの仕入れの舞台裏にせまる企画「輸入の流儀」。
今回は、キツネのエチケットでおなじみのドイツワイン、フリードリッヒ・ベッカーを輸入するヘレンベルガー・ホーフ株式会社、代表取締役社長の山野高弘さんにお話を伺いました。
山野さんとベッカーの出会いは、運命的な出会いがあったのかと思いきや、ワイン評価誌『ゴ・エ・ミヨ』でした。
当時ヘレンベルガー・ホーフは、ドイツの赤といえばベルンハルト・フーバー一択という感じで、社長(当時は山野さんのお父さま)はフーバーだけの取り扱いにしてもいいというほど、フーバーにご執心だったそう。
しかし、ドイツといえばまだまだ甘口白ワインのイメージが根強く残る中、せっかくフーバーのおかげで、ドイツの赤ワインの品質が認められてきたので、一生産者しか持っていないのはもったいないと、あたりをつけたのがベッカーでした。
ドイツの中でも辺鄙な場所に存在するベッカーへ、雪降る2月に一日がかりで向かうことになります。
ドイツ西部、アルザスとの国境沿いに位置するファルツ地方に本拠地を構えるベッカー家は代々ワイン造りに携わってきた名門にして、この地方の名士でした。
というのも、ベッカー家は戦後荒廃した村を立て直すために協同組合を設立し、長らく人気を誇っていたドイツの甘口ワインの生産を担っていたのです。
そんな村の名士たるベッカー家の跡取りとして生まれたのがフリードリッヒ・ベッカーその人でした。
しかし、彼は17歳の時に研修で行ったブルゴーニュで飲んだピノ・ノワールが忘れられず、周りの反対を押し切り、ドイツに赤ワインが求められていなかった1967年にシュペートブルグンダー(ピノ・ノワール)を植樹し、1973年に今のフリードリッヒ・ベッカーを起ち上げました。
数十年の苦節の時が必要でしたが、1989年ワインガイド誌において最優秀赤ワイン賞を受賞し、今ではドイツの赤ワインの名手として世界中でその名声を確立しています。
象徴的な童話『すっぱいぶどうときつね』をモチーフとした愛らしいエチケットには、忌避褒貶、紆余曲折のある人生を過ごしたフリードリッヒ・ベッカーさんの歴史が込められています。
そんな長きにわたる苦労話を、外で雪がしんしんと降る中、暖炉にあたりながら聞けば心が動かない人はいないでしょう。
もちろん、山野さんも心を動かされた一人ではありましたが、それだけで決断できるほど甘い世界でもありません。
しかし、実際にワインを飲んでみると、たしかにそこには17歳のころのフリードリッヒ・ベッカーさんが憧れたブルゴーニュのピノ・ノワールを思わせる品質が確かに認められました。
さらに、価格帯も当時4000円台からがエントリーレンジだったフーバーに比べて、ベッカーは3000円台からとまさに求めていたレンジ。
「ヘレンベルガー・ホーフのバイイングは、ワイナリーに行ってじっくり話を聞き、ワインを飲み、語られる言葉と詰められている液体の世界観が一致しているか、そしてそのワインを欲しがるお客さんが思い浮かぶかということを基準に考えています。」
そのようなワインは当然スタッフがほれ込むことのできるワインであり、「弊社の倉庫のワインはすべて自分たちが輸入したい、売りたいと思えたものしかありません」と語るようにスタッフさんが自信をもって提案できるものとなります。
実際に2007年に初輸入をすると、お客さんの反応は非常にウェルカムなもので、従来強かった小売り販路はもちろん、首都圏を中心に飲食店向けへの販路も拡大していきました。
ブルゴーニュやカリフォルニアなどの「いかにも」なピノ・ノワールだけをオンリストする時代は、確実に変わってきているようです。
フリードリッヒ・ベッカーがはるばる日本までやってきた理由は
1. フーバーという既存のドイツ赤ワインが切り開いた商流に乗せる商材を探していた
2. 現地まで赴き、語られた言葉とワインの味わいが合致していた
3. ヘレンベルガー・ホーフがほれ込み、売っていきたいという熱い思いがあった
ということでした。
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