1月 19, 2024
悩めるワイン業界人(と未来のワイン業界人)におくる「THEワインキャリア」の今回は、ニューヨークでソムリエとして頭角を現し、黒船のごとく日本に舞い戻ってきた梁世柱さんにお話をうかがいました。
梁(やん)さんとワインの出会いを話すには音楽の話から始めなければなりません。
幼いころから音楽を学んできた梁さんは、高校卒業とともにボストンの音楽大学へ入学。ジャズ科ギター専攻として研鑽を積んでいきますが、自宅と大学の往復の日々に窮屈さを覚え、当時ギターの師匠がいたニューヨークに移ります。
大学編入までの期間、語学学校に通いつつお金を貯めるためにスタートしたのが飲食店でのバイトでした。
SAKAGURAという日本酒バーで働くようになり、持ち前の凝り性もあって、日本酒の世界にのめりこんでいきます。
日本酒バーという職場環境もあり、日本酒についての知識をつけていくことに不自由はしなかったものの、梁さんにひとつの壁が立ちふさがります。
それは、あくまでニューヨーカーたちのお酒の共通言語がワインであったということです。
「この日本酒はリースリングみたいだね。」
「ワインでいうとどういう味に近いの?」
日本酒を知らないニューヨーカーと話すには、ワインという共通言語を持っていることが必須でした。
早速ワインの勉強をスタートするものの、当時21歳の若者が本格的にワインの勉強をするにはワインに囲まれた職場が必要不可欠です。
「ならワインをしっかり扱ういいレストランでバイトすればいいのでは?」
日本であればそれもいいかもしれません。しかし、そこはニューヨーク。世界中から才能と野望を持った人が集う街。
経験もコネもない人には、良いレストランのポジションはおいそれとは回ってきません。
転職を重ねながら少しずつお店のレベルを上げていき、理想的な環境に身を置けるようになったのは27歳の頃でした。
ここで、みなさんには梁さんのキャリアの軸が音楽であったことを、もう一度思い出していただきたいです。
ギターの師匠に招かれて、ニューヨークへ。そして大学編入までの間に始めたのが飲食店でのバイトでした。
実際に、梁さんは24歳の頃にニューヨークの音楽大学に編入を果たし、以降はソムリエと音大生という二足の草鞋を履いて生きていきます。
しかし、やがて二重生活にも決断の時が訪れます。
それは28歳の時のこと。
当時フランスの音楽大学院進学を決めていた梁さんのもとに、ニューヨークのトップシェフ、デービッド・ブーレイ氏の新店シェフソムリエの話が舞い込んできます。
初志貫徹して音楽の道をとるか、没頭しているワインの道に進むか。今回は両方というわけにはいきません。
最終的にブーレイ氏のオファーを受け、業界でも大きな注目を集めていたトップシェフの新店舗へシェフソムリエとして就任します。
果たして、その結果は…
ニューヨークのソムリエ新人賞ともいえる、
Rising Star NYC Sommelier AwardおよびZagat 30 under 30 NYC Sommelier Awardの二つを受賞する大成功をおさめます。
ちなみに、社内の反対を押し切る形で、梁さんの採用を決めたブーレイ氏は、ただ”I knew it(わかっていたよ).”と答えただけだったそうです。
その後、梁さんは2013年に帰国します。
日本人ソムリエが海外修行してくるというパターンはよくありますが、梁さんはソムリエとしてのキャリアをニューヨークで始めた日本のワイン業界にとっては完全なアウトサイダー。
しかも日本出身のソムリエとしては初となるニューヨークソムリエの新人賞を二つ受賞した稀有な人材が突如として現れたとあって、当時は少なからずのハレーションがあったそうです。
そんな梁さんが最初の活躍の場に選んだのは、三ツ星店として名高い龍吟でした。その後も、赤坂のWakiya、六本木のS'ACCAPAUと名店で経験を積んでいきます。
そんな中で転機になったのが、S‘ACCAPAU時代にWorld’s 50 Best Sommeliersに選出されたことでした。
オーストラリアで開かれた会合で世界中のソムリエたちと交流したことで、ソムリエとしてもっと世界と繋がっていたいという気持ちが梁さんの中にこみあげてきます。
現場にフルタイムで入りながら定期的に海外へ、というのは現実的でないと考え、2018年に独立し株式会社La Merを起ち上げます。
様々な挑戦をしてきた中で、現在はジャーナリスト・エデュケーター・コンサルタントとしての業務を中心に活動されているとのことです。
さて梁さんのキャリアの秘訣はどこにあったのでしょうか?
お話をうかがった中で感じたのは、
・極める力
・俯瞰力
・世界視点
極める力については言うまでもないでしょう。ニューヨークという競争激しい環境で生き残っていくには、想像を超えるハードワークが必要だったことは想像に難くありません。
一方で、ひとつのことを極めれば極めるほど、普通は視野が狭くなってしまうものですが、音楽とワイン、ニューヨークと東京、常に二項対立の中で生きてきた影響もあってか梁さんには客観性が損なわれている印象は全くありません。
実際に、自身はプライベートではほとんど「ナチュラルワイン」しか飲まないそうですが、一方で昨今のナチュラルワインの陥っている問題点を鋭く指摘し、アカデミックな視点も取り入れつつ、改善案を模索しているとおっしゃいます。
そして、ワインという仕事を日本という閉じた世界に限定していないことも強みに違いありません。
梁さんに舞い込んでいる仕事も、そのような視点を持っているからこそ、お声がかかるようなものばかりです。
最後にワイン業界で働く人(これから働く人もふくめ)への伝えたいメッセージをうかがってみました。
「周りには色々なことを言ってくる人がいるかもしれませんが、とにかく自分に正直にワインと向き合ってほしいですね。」
余談ですが、世界的なジャズギタリストとして名高いウェス・モンゴメリーも
「私は自分の耳で聴いたことしか弾けない。私は自分の耳で聴いたことしか信じない。」
と自分自身に誠実であることの重要性を説いています。
ギターからワインに表現の場を変えた梁さんは、実は今も昔も本質的な部分は何も変わっておられないのかもしれません。
梁さんは都内にxotic winesというワインショップも運営されています。ぜひ梁さんセレクトのワインを飲みながら、日本に降り立った黒船ソムリエのその後に思いを馳せてみてはいかがでしょう?
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